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artbluebird

約5年の沈黙を破って、、、

人間性

 

「あの人は人間性がいいから」

「あの人は人としてどうかと思う」

とか耳にするたびにいつも不思議に思っていた。

 

 

人間性の善し悪しって何?

 

 

人間って生まれた時から何かしらのコミュニティーの中にいる。

生まれる。

生まれた瞬間母親の腕に抱かれて、自分の家族の中にいきなり身を置くことになる。

その後家族にお世話をしてもらって、

少しづつ自分の力で生きることを覚える。

覚えている過程の中で、

それまで主に自分の家族というコミュニティーにしか属してなかったけれど

学校という新しいコミュニティーが自分の中に加わる。

その後、学校を経て、社会の中で新しいコミュニティーに身を置くことになる。

やがてそのコミュニティーからも離れ

最後は一人で死んでいく。

 

 

生まれてから死ぬまで本当に人それぞれ属するコミュニティーは違うけれど、

誰しも、一度は必ずそのコミュニティーの中で

他人から自分の評価をされる。

知性、肉体、言動、スキル、表現…

評価される項目はいくつもあるけれど、

その中に「評価する人間の好きか嫌いかの感情」がいつもつきまとう。

まったく他人の好き嫌いの感情が入らないものは

いわゆる「試験」と呼ばれるものだけなんじゃないかと冷静に思う。

 

昔、ある人が私にこう言った。

「●●ちゃん、人間って好きか嫌いかで判断するからね、シンプルなんだよ」

うん、確かにそうだと思う。

例えば、いくら成績がよくて品行方正でもおとなしいというだけで「アイツは面白くない」とか言われることもある。

いくら仕事の実績を挙げていたとしても「アイツは生意気だ」と言われることだってある。

挙げたキリがないぐらい。

 

じゃあ、何を以って他人がそう言うのか。

それは、もちろんその他人の好き嫌いの感情があるのだけれど、

その他人のこれまでの背景

つまりその他人がどういうコミュニティーで生きてきて

どういう価値観を持っているのか。

これに依るところが大きいように思う。

 

結局、人間って自分が今まで経験したこと、学んだこと、考えたこと、思ったこと、をベースに生きている。

そこで生まれた思想、価値観、倫理観がその人間の判断基準になる。

その判断基準から少しでもはみ出ると「嫌い」という感情が増幅されやすくなり

基準に沿うようなものだと「好き」という感情が増幅されやすくなる。

それに他の要素も重なって

結果的に「好き」「嫌い」の感情が確定し、上のような発言につながってくる。

つまり、他人が自分と共感できる部分がどれだけあるか

ただそれだけだと思う。

 

じゃあ、人間性の善し悪しとは?

これは好き、嫌いの根幹になっているもの

上に書いたとおりの思想、価値観、倫理観のことだけれど、

 

その判断基準そのものが「人間性」という言葉に集約されているだけなのではないだろうか。

善し悪しって、これまた結局他人の判断基準、他人のいう「人間性の基準」を通して

いいか悪いか勝手に判断されているだけのように思えてならない。

と同時にものすごく押しつけがましさも感じる。

「人間性がいい」「人間性が悪い」

この言葉は結構根深いものだと、常々思っている。

よくこの「人間性」を勘違いして「性格」と捉え

「あの人は性格がいい、悪い」

なんて言っている人がいるけれど、

それを聞くたびに私は心の中で「なんて浅はかな人間なんだ」と発言者に対して思っている。

 

 

平成の怪物が約10年ぶりに日本のマウンドに立った。

ただただ、驚いた。

「プロじゃない」

投球内容云々以前に、身体が絞れてない、顔に緊張感がない、

なにより、勝負しにきていない。

「1軍で投げることができてよかった」

この言葉がすべてを物語っている。

 

これは人間性の問題じゃない。

「仕事」をするための自己管理が出来ていないだけ。

「結果」を残すための努力をしていないだけ。

「報酬」に対しての危機感がないだけ。

プロならただ仕事をするだけじゃだめで、あくまでも結果を残さないといけない。

その結果に見合った報酬でなければいけない。

人間性云々ではなく、

プロとしての仕事の在り方に問題があるだけのように思う。

 

連日のように報道がある中で

「人間性」の批判らしき記事を読むたびにうんざりする。

また、人間性批判かーって。

日本の嫌な風習でもあるように私は思う。