読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

artbluebird

約5年の沈黙を破って、、、

過去との葛藤と2222 ~strings of life~

 

この2週間色々とあった。

 

過去との葛藤と現在との交錯。

人知れず苦悩することがある。

誰にでもあるけれど、私もそうで。

 

youtu.be

 

考えてもどうしようもない。

でも、いつも

「あの時より今の方がいいと言い切りたい。」

言い切れるように今を生きたい。

そのための努力をしたい。

そうは思う。

 

------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

「あ!ゾロ目出ましたよ。きれーに揃って。」

 

 

いつも行くお店のおばちゃんが珍しく私に笑ってそう言ってきた。

この定員さんはいつも淡々として今まで一度もこんな会話をしたことがなかったから

ちょっとびっくりしておばちゃんの顔と表示金額を見てみた。

 

 

2222

 

 

…うわっ!ほんとや。…

 

 

私も笑った。

 

 

「なんかいいことがありそうですね。」

「ホントきれーに揃ってる。」

 

 

どうやらおばちゃんは綺麗に揃ったことが余程嬉しかったようで

会計が済んでもまだ言っていた。

 

…とりあえずあのおばちゃんは綺麗好きかパチンコが好きな人なんやな。…

 

 

でも、あんな風に仕事中のちょっとしたことに敏感で

楽しいとか嬉しいとか感じられるっていうのは素晴らしい事だと思う。

どんな単調な仕事でも。

 

 

 

さて、この一週間の私はというと、

こんな感じでした。

 

 

youtu.be

 

アーティスト時代に

「ソロで最後に必要になるのは存在感と支配力。技術は持ってて当たり前。」

のようなことをごく少数の人間には話したことがあるけれど、

過密スケジュールの中、よく頭をよぎったものでした。

し、それを実際に体現することになったようにも思う。

口先だけではカッコ悪いですし。

 

 

そしてまだまだ私の伸びしろもわかって、それも収穫だった。

まだまだ伸びる。

非常に充実した一週間だったように思う。

 

 

さて、週が変わったので切り替えて。

準備準備。

 

 

 

 

 

Asada Blue

 

youtu.be

 

 

 

 

浅田選手が現役引退を発表されました。

本当に長年、お疲れさまでした。

私は関係者でもなんでもないただの一般人なのですが、

 

それでもこういう発言をしたい選手です。

 

 

私はこのフリーの演技を見て、今までの浅田選手の印象と180度認識が変わりました。

 

 

「真央ちゃんというアイドルから、浅田選手という一人のアスリートになった瞬間である。」と。

 

 

このソチオリンピックのフリーはテレビで痺れました。

圧巻。

っていうか、演技終了後、

テレビで見てても、「やべー」って感じでなんも言えないぐらいの凄みがありました。

そして、浅田選手の本性をみたような

気がしました。

 

 

国民的アイドルは、実は無茶苦茶ストイックな“アスリート”だったんだと。

 

 

逆にそれが非常に嬉しくも思いました。

 

 

“あぁ、やっと自分の本性をリンクで表せたんだな”

 

 

リアルタイムでこの演技をテレビ越しに拝見していたのですが、

表現者としてではなく

本当に浅田真央という一人の人間の、アイドルではなくアスリートとしての本懐を垣間見たような感じでした。

 

 

 

これは伝説のフリーとして語り継がれるべきです。

 

 

 

ピカソには「青の時代」と評される作品がいくつかありますが、

その言葉を拝借するならば、

これは「Asada Blue」の真骨頂かと。

 

 

そして、本当に個人的には

暖色系の色ではなく、

浅田選手に似合うのは実は寒色系だったのではないかと。

 

 

 

浅田選手はやはりアイドルではなく、本質はアスリートだった。

 

 

 

皮肉なものだと思う。

本人がどうなのかはわかりかねますが、

終わった後でアイドルではなかったと、わかってしまうのは。

 

 

 本当に、皮肉なものです。

 

 

ただひとつ思うのは、

浅田選手は決して、悲劇のヒロインではないということ。

 

 

 

 

今後ますますご発展されるよう

一人の一般人として心より願っております。

 

 

 

 

強烈な否定にある根底。

 

仕事中に頭にくることは幾らでもあるけれど、

私はそのほとんどをスルーするようにしている。

もうこれは習慣であり、経験則なのですが、

スルーしたことについてはほぼ100パーセント自分にとって無意味であるから

私のこの判断は間違ってないと

これは自分にしかわからないことですが、

ここはひとつの正解を自分の中で与えている。

し、そうすべきだという自分則があるわけで。

こんなもの他人に語ったところで誰しもが必ず当てはまる絶対的なものでは決してないと思いますし、私にしか理解できない第六感がありまして、それを他人に語ったところで絶対に100パーセント理解できないと主観的にも客観的にも思うところはありまして、

この第六感だけは

完全に私だけのものである。

誰も理解できない、私だけのユニークな領域ですので、寧ろ語っても無意味ぐらいに思っています。

それぐらい私の第六感は非常にユニークで他人には理解しづらいものでして、

今まで自分の両親さえも理解できないとはっきり口にしたぐらいですから、

それによって孤高と孤独を極めたわけですが。

 

 

 

と、なんだか私だけのものっていうのが強調されてはいますが、

多分、ある程度社会経験のある方はご理解いただけると思います。

特に、ある程度社会でそれなりに結果を残した方や地位のある方や自営業の方、

とにかく「自分でなんとかしてきた」方は

多少なりともご自身に置き換えていただけると理解できるかと思います。

そういう方ほど「孤独」であり「孤高」でありますから。

なぜなら、誰にも理解してもらえない領域をご自身で持っているからです。

裏を返せば、何かを自分で成し遂げるには

それぐらい強烈に自分の領域を持っていないと

何かを成し遂げることなんか不可能なわけで。

ただ上司の言うことだけ聞いていれば出世できる。

そう思っている方は、ごめんなさい、

多分一生出世できないと思います。

 

 

そういう方はご自身の上司に「どうやったら出世できますか?」とか

アホな質問をしたらいいぐらい思っています。

きっと上司は曖昧な発言しか、しませんから。

※すっごい気持ちわかります。※

 

 

本当に申し訳ありません。

私はこの辺無茶苦茶残酷です。

理由は、過去、私自身が自殺してもおかしくないぐらいの状況に追い込まれたことがあるからです。

今となっては私のこのユニークな第六感がそれを阻止してくれたわけですが、

多分並みの人間ならとっくに死んでます。

ぐらいの状況に数年追い込まれたため、

今でも他人には全く心を開くことがありません。

し、それが私の正義であり、正解なので

誰にも文句言わせないです。

はい、他人なんか信じておりません。

これは過去の親友、友人、仲間に申し上げております。

今現在進行形の人間につきましては、こういう私の過去にノータッチでありますので

無関係の人間として接していますが、

やはり、「人間は必ず裏切る」という過去に植え付けられた絶対的な価値観がありますので

無関係な人間もやはり100パーセント信じるなんて

私にはあり得ない話です。

非情ではありますが、それが私の正解です。

し、ビジネスでは当たり前の話ですので、理解できない方が

幼稚なわけで。

はい、幼稚ですし

ビジネスの場で気合だの根性だの語るのであれば

即刻退職していただきたいぐらい

お話しになりません。

それは私の第六感以前に、精神論しか優先していない証拠ですし、

精神論のみ=頭を使っていない

という何よりの証拠になりますので、

ビジネスをするのであれば

必要ないです、そんな人間は。

要らないので退職してください。

必要ございませんし、

もし私が社長ならそんな人間はまず雇用致しません。

さようなら。

 

 

 

文句言う奴がいるのであれば、「ちょっと顔かせや」という勢いで迫ります。

私が他人に対して強烈に冷たい理由は過去にあります。

当事者の皆さまは今になって過去のことと実に綺麗に流そうとしているようですが、

そんな簡単に流せませんので、

直接お顔を合わせる機会があれば、喜んでお顔を合わせたいと思っております。

※覚悟してくださいね。言い訳は一切聞き入れませんし非合法な手を使うのであれば事前にこちらも手を打ちますので。あくまでも純粋に正直にお話しいただき尚且つ土下座していただきたいと思っております。し、ご自分が目立ちたいために私に接触するのであれば、お望みどおり、貴方様が目立つように実況中継させていただきますので、それなりにご準備の程宜しくお願い申し上げます。※

 

 

 

私は確かに他人、はたまた自分の親にさえ理解されない

自分だけの第六感は確かに持っていますが、

それで世の中の利益に貢献しているのに、

それを変なレッテルで貼る奴は

ことごとく淘汰します。

 

 

 

それが、私の正義です。

 

 

 

その正義が確立されたのは

過去の、経験です。

 

 

それがすべて、だけど、それが正しい。

 

 

 

他人なんか知ったこっちゃない。

 

 

 

テメーのけつは、テメーでふけ。

 

 

 

私にすべて擦り付けた過去をもつ人間に対しては

今後も今までと同様

いつまでも、土下座するまで

ことごとく蹴落とし続けます。

 

あの数年私が味わった地獄を

同じように見せてやったらよいのです。

 

 

こんなクズには。

 

 

youtu.be

 

センスの磨き方

過去に、たった一人だけ

何も持たない私に大事なことを教えてくれた人がいた。

 

 

その人は、まっすぐな目で

何も持っていない、ボロボロの私にこう言った。

 

 

「○○○(私のファーストネーム)、センスって“何かを選択する”技術の一つだよ。」と。

 

 

当時、お金も、地位も、名誉も、コネも、

ほんとうに何もなかった私に、

このすべてを持っている人が、

なんの見返りもなく、

私と同じ目線で、

私に、身をもって教えてくれた。

 

 

後にも先にも、本当のことを教えてくれたのはこの人だけだった。

本当に感謝しています。

ありがとうございました。

あの時あの言葉を賜っていなければ、

きっと今の私はありません。

今は、あの時とは違う職業についていますが、

あの言葉にすごく助けられており、

また、「あー、まだ私やれるわ!」と

カンフル剤になっております。

 

※また落ちついたらそちらにいき、ご挨拶できたらと思います。

申し訳ありません。私も今、公私ともに色々ありますためご容赦いただけますと幸いです。

宜しくお願い申し上げます。※

 

 

 

 

「センス=直感力」

 

 

と勘違いしている人間が多くて、

正直うんざりする。

 

 

きっと、この方の言葉がなければ、私はずっとこういう思考回路だったのだろうと思います。

普通、そう思っちゃいますもん。

 

 

でも、センスって先天的なものでもないし、

直感的なものだけでは成立しないとさえ、

やはり思ってしまいます。

 

 

 

色々あります私が今思う事。

それは、

「センスを磨く能力=考える力」だと。

その一つが「自分で取捨選択できる能力」ではないかと。

 

 

 

あの時、あの方が身をもって教えて下さったことは

絶対に間違いではないと、

 

 

最近よく思う。

 

 

エイプリルフールの真実

どういう職業であろうとも、

「やりきれる技量」

というのは、非常に重要だと個人的には思っている。

 

 

そこそこいいところまでいく。

というのも大事な時期はありますが、

場合によっては、それでも「やりきる」ということが重要なときがある。

営業マンにはわかりやすいお話しかと思いますが。

 

 

 

経験だけでもダメ。

頭脳だけでもダメ。

技術だけでもダメ。

感性だけでもダメ。

人脈だけではどうしようもない。

あくまでも、己が今現在持っているすべてを

自分自身できちんと融合できたときに

はじめて「やりきれる技量」がつくもので。

 

 

 

やりきるには、単体要素だけでは無理な場合がある。

寧ろ、単体要素だけでやりきるほうが無理があるし、実際そのほうが多い。

いつだって複合要素が混在する。

己が持ち合わせている一つ一つの要素をどう組み合わせたら最善のバランスになり

かつ、関係者が皆winwinの関係になれるのか、

それが見えるかどうか、

ここは己のセンスが問われる部分ではありますが、

そのセンスというのは先天的なものではなく、むしろ後天的に身につくものが多いわけで、

己のセンスが現時点でどの程度かと

己の今持ち合わせている要素がどういうものか

自分が嫌になるほど自分を冷静に分析・理解し、尚且つ独りよがりではなく至極冷静に見ていないと

「やりきる技量」は得られない。

し、未来の自分に発展することも、皆無である。

非常に苦痛の伴う作業でありますが、こればっかりは自分でやるしかないもので。

最近の若者がそれをとてつもなく軽視し、

「どーせ昔の時代の話やろ」ぐらいに、自分とは無関係ぐらいに思っている傾向があるから、

深い部分で「やりきる技量」というものが身につかないんだろうなと、

相当な第三者的目線で、私はよく思う。

が、口には一切しない。

なぜなら 「私がテメーのお世話してないから。」

結構冷たいです、その辺は。

過去のブログで記載させていただいていますとおり、

私は聞いてくる人間にしかアドバイスは一切しない主義ですし、

それでいいと思っています。

そのほうがいいことが多いからですね、お互い。

 

 

あと、もしかすると若者だけとは限らないとも最近は思います。

ある意味今の若者は可愛そうなのかもしれません。

ゆとり世代だから」

の一言で片づけられ、実はそうじゃない若者もたくさんいますし、

ある意味バブル期を体験している世代よりも時代背景的に堅実にならざるをえず

金銭感覚はまともな人間が若者には多いように、私は感じています。

だから一概に今の若者が悪いわけではなく、

寧ろバブル期のイケイケを経験した世代のほうが危機管理能力に関しては低いようにも感じます。

それは、自分で考える力を養う時代ではなく時代に踊らされ自分が生かされる時代を経験してきたからです。

時代背景は仕方がないのですが、いつまでも「私たちはそういう時代だった」と過去にしがみつくのも、

実に見苦しく、また臨機応変に時代を見極めてないんだなと感じる要因でもあります。

 

 

私の22歳のときは、就職氷河期の絶頂で

それはそれは苦労しました。

それに、結構時代や価値観の転換期でもありましたから、

そのあとも上や下と時代背景が違うということも、よく肌で感じることがありました。

だから、両方のいい部分も、そうでない部分も、

私なりには感じていますし、

そのうえで、「じゃあ私がどう生きるか」も考えるところであります。

 

 

ただ、どういう時代に生きようとも

大事なことがある。

 

 

 

そのひとつが「やりきれる技量」かと

私は思う。

 

 

youtu.be

 

 

柳沢さんの唯一無二なところは、

喋り始めた瞬間から、独壇場にしてしまう国宝級の話術にある。

これは本当にすごい!

し、無茶苦茶面白い!!

ホントにすごい!!!

 

 

 

 

 

 

無言の会話。

 

 

もうすぐ3月が終わります。

会社によって会計年度が異なりますが、

皆様、いかがお過ごしでしょうか?

 

 

これは私のブログですので多少自分に対しての記述が多いことはご容赦いただければと思いますが、

今年に入りまして度々お伝えさせていただいてますとおり、

例年に比べ、

主に「時間的に」タイトになっております。

いつかのブログでもお伝えさせていただいていますとおり、

昔から時間がないことで彼氏に振られることが多数過去ありましたため、

これはもう自分で自覚するしかないと自分に言い聞かせている部分でもありますが、

それがさらに加速しているのが

今現在、であります。

 

 

個人的には有難いことではありますが、

これが一人の女としてと考えると

実は淋しいものなのかもしれないとも頭にかすめつつも、

「そんなもん知るか。」

と、やはりどうでもよくなってしまうのが私です。

 

 

モテようがモテまいが、

正直私の興味ではないのです。

 

それよりも、考えることがたくさんありすぎて

パーマンじゃないですけど、

1号、2号、3号、と

分身がほしいぐらいです。

 

 

 

先日、束の間の休息がありまして、

久しぶりに愛犬と一緒に仮眠を取ったんですけど(with 私の腕枕)、

愛犬のリアクションがまー素直で。

 

 

「いや、だからさ。お前最近全然オレと遊んでくれないじゃんか!お前はホント何してんだよ?!」

 

 

「だからさ、この前も言ったけど、ちゃんとお仕事しとるんやけ、そんな文句言わんと!」

 

 

「…おー、そうか。」

 

 

 

その3分後には眠りにつく愛犬。

 

「なんだよ、カップラーメンと一緒じゃんかよー。」

とひそかに私は思いながらも、

一緒に、いつもどおり腕枕をしながら束の間の仮眠をとるのである。

 

 

 

うちの家族はちょくちょく戦線離脱する人間が多いからこそ、

ここ数年でやたらと愛犬が私に頼ってくることが多い。

 

 

しかも、最近は老犬だから仕方がないけれど、

目が見えづらくなってて、

戦線離脱する家族が多い中時間的な余裕がない私は、

愛犬に申し訳なく思う部分もある。

 

 

だけど、

私も私で事情があるから、

それはいつも、言葉が発せられない愛犬に伝えてはいる。

 

 

「○○、私も働かないと、お昼寝もできんくなるけねー。」

 

 

と。

 

 

これも、先のブログでお伝えさえていただいてはいますが。

 

 

 

youtu.be

『in the mood』

 

 

youtu.be

 

 

「アンタはこの曲ね。」

 

 

 

有無を言わさず、小学生の時にスパルタ先生に渡された一本のカセットテープに入っていたのがこの曲だった。

 

 

色々制約があってこんなスイングしたビックバンドジャズではなく

ピアノアレンジされたものだったけれど、

 

 

それが、私が生まれて初めて一個人として

“何かを”

親以外の一介の俗世間のオーディエンスに

初めて披露する曲になった。

 

 

それが10歳の時。

あれから30年まではいきませんが(きみまろさん風に言えば)

時間が経った今でもこの曲には特別な思い入れがありまして、

あの時はスパルタ先生に有無も言えなかったけど、

今なら少しだけ自分なりのこの曲に思うことも

先生に言えそうな気がします。

 

 

※先生、お元気にされてますでしょうか?

熊本で、先生らしく相変わらずスパルタに指導されてましたら、

私は嬉しく思います。

それがある意味先生らしさでも、ありますから。※

 

 

あの時は、なんでこんな明るいポップな曲を私に授けたのか理由が分からなかったけれど、

今なら少しだけですが、分かるような気がします。

 

 

 

…先生は、私の本質をあの時にすでに見抜いてたんやな。…

 

 

 

母親はよく私に言っていた。

 

「アンタはホント、いい意味でもそうじゃなくても目立ってしまうけね。」

 

 

そのいい意味が、

スパルタ先生が言った

 

 

「アンタはこの曲ね。」

 

 

なのである。

 

 

 

 

私はあれから、本質が変わらず、そのままなのかもしれない。

 

 

 

 

 

あーーーー、とりあえず仕事頑張った!!!

 

 

 

お疲れっした!!